「……っ」
「ん?」
会いたくない相手に限って、ばったり会ってしまうものだ。

「ああ、エヴァグリーンかぁ。おはよ。」
オルドル支部の廊下にて、ルストはひらひらと手を振ってきた。相変わらずぼーっとふぬけたツラをしている。
今は朝じゃねぇ昼だ、と言いかけた口をぐっと閉じた。そして黙って脇を通り過ぎようとした。ヘタに喋らないのが一番だ。
…最悪だ。頭を抱えたいぐらいなのを必死で抑える。
このタチの悪い情報屋にだけは会うまいと、アルヘオ支部をずっと避けてきたのに。
「あれ?おーい、エヴァー?なになに具合悪いの?」
ところがルストはくるっと振り向いてこちらに呼びかけてきた。おい来るなよ来るんじゃねっつの。そんな内心などお構いなしで呼びかけは続く。
「エヴァー?エーヴァー?…エビフライー?」
「誰がエビフライだッ!!」
「あっ、やっと答えた。あっははは怒った。」
草でも生やしそうな調子でけらけら笑うものだから血管がブチ切れ寸前だ。なんッなんだコイツは。エヴァグリーンの拳がわなわな震える。
「ッたりめぇだろクソが!笑ってねェでとっととしろよクソボケ、俺に何の用なんだってんだよ!」
「んー?特になんにも。」
思わず胸倉を掴んだ。
「ッッのクソゼリー野郎ブッ殺す!!!」
「あっはははそう怒んないでよ、今日は随分ご機嫌ナナメだね。どしたの?」
テメェがいるからだテメェが、と喉まで出かかったがすんでで堪えた。んな事言おうものならそこから突っ込まれるに決まってる。まだるっこしい頭脳戦に思わず叫びたくなるが、結局エヴァグリーンはだんまりしかできなかった。掴んでいた胸倉もばっと離す。
「…あ、そうだついでだから聞いてみよっかな。ねぇエヴァグリーン、"種"について聞いた事はある?」
「は?タネ?」
「そう、"種"。」
ルストは何事もなかったかのように微笑んでいる。皺のよったパーカーを軽くはらうと、変わらぬ調子で話を続けた。
「母体に植えつけるだけで…つまり、女性の子宮に植えつけるだけで"色違い"が産める、と言われているシロモノだよ。近年出回っているらしくてさ。」
「…知るかそんなん。」
聞いただけで胸糞悪くなる話だ。吐き捨てるように言えば、だろうねぇと呑気な声が返った。
「さーっぱり足取りが掴めないんだよねぇ。エヴァでもダメかぁ。」
「俺が知る訳ねーだろうが。大体わざわざこっち来ねぇでテメェんとこで調べてりゃいいだろクソボケが。」
あははと適当な笑い声が返される。ああクソと苛立っていると、前触れなく、その笑みが濃くなった。

「…俺が此処にいるとマズかった?」

ぴり、と。
神経が凍りつくのをはっきり感じた。やばい。ヤバい。真っ白くなる頭、必死に回すもカラカラ空回る。
何か。言わなければ。けれども息の詰まった唇は動かない。
耳が痛くなりそうな程の沈黙を、先に破ったのはルストだった。
「ま、深くは聞かないけどねぇ。嫌われるのには慣れてるし。」
聞こえた声は何事もなかったようにけろっとしていて、思わず詰めていた息がどっと出てきた。
「俺はエヴァの事好きなのになぁー、残念だよ。」
「…っは、知るかボケ…野郎に言う台詞じゃねーだろ気色悪ぃ。」
野郎に、と言った途端頭をよぎる白髪の横顔。
それに気を取られた、その一瞬で。首に巻いたスカーフをくいと、引かれた。
「…!?」
「…首、」
露わになる首筋。至近距離の笑み。指の腹が撫でる、赤い点。
「虫刺され、かな。この季節、郊外の任務は気をつけてね。」
「…ッて、め…寄んな…。」
「……ああ。それとも、無粋なお節介だったかな?」
「―――ッ!!!」
ばっと腕で振り払った。ぜぇぜぇと息を荒げ、あらん限りの力で睨む様はまるで獣のよう。
但し、手負いの獣。ルストはさらりと距離を取って、ただただ微笑んでいた。何事もなかったかのように。
「…ちょっと道草しすぎちゃったかな。ごめんね、長話付き合わせちゃって。次また会えたらまた話そ?」
そう言ってひらひらと手を振ると、ゆったりと横を通り過ぎた。睨まれてる事など意にも介さず。エヴァグリーンが僅かにたじろいだ事など気付きもしなかった風で。
通り過ぎる瞬間に。
呑気な声が、言った。
「さっきの話。何か情報わかったら、教えてほしいな。」


「―――例えば知り合いから聞いたりしたら、さ。」


…ルストは、そのまま。ゆったりと歩き去る。何事もなかったように。
目を見開いたエヴァグリーンを、置き去りにして。




クローズドポーカーの行方


fin.