「……あー…。」
やってらんねー…とレイドは机にずるずる突っ伏した。目の前にはよれた字の書き連ねられた報告書もある。それも1・2行で息絶えていて、その下は見事に真っ白だ。
これ以上何書けって言うんだ。報告しろったって行ってきました殺りましたはいおしまいで終了じゃねぇか。それ以上何を書いたらいいのかわからない。
ぐだぐだに煮詰まってきた頭は眠気への逃避を始めた。周りの雑音も丁度良く眠気を誘う。いいやもう。後の事は後で考えよ…。
「んあーねむたい…それにおなかすいた…。」
そんな雑音に、レイドより一層だるそうな声が混じった。なにともなしに振り返ってみると。
一気に目が醒めた。
「―――ルスト!?」
「ん?」
レイドの後ろを通り過ぎようとしていた青年は、呼ばれてはたと立ち止まった。ぼさぼさな緑髪がひょいんと揺れる。
「おーレイドだー。ひっさしぶりーおはよーはよー。」
「おはよじゃねっつのもう午後だろおま、っていうかいつ戻ってきたんだよおい!?」
「んーと、今?」
「今って…お前どんだけ支部空けてんだよ…。」
呆れ返ったレイドが溜息をついた。
ルスト、と呼ばれるこの青年はアルヘオ支部の構成員。レイドやエレジアとは少し毛色が違う、"諜報部員"だ。
その名の通り情報を集めてくるのが仕事。レイド達とは仕事のスタイルが違うのは勿論なのだが、それにしたって軽く半年近く顔見せないってのはどうなんだ。
「……なんか厄介なモンでも追ってんのか?」
その実力は折り紙つきと言われるルストですら、半年もかかってしまうような情報なのだろうか。隠しきれない興味を滲ませながらレイドが訊くと、
「んー、多分ね。ていうか、飽きちゃってさぁ。」
「おい。」
「あっははは。んじゃ、アルんとこ行ってくるねぇ。」
へにゃりとゆるい笑顔でひらひら手を振り、ルストはゆったり歩き去った。だぼっとしたパーカーに手をつっこんで、コンビニに昼食でも買いに行くような気楽さだ。
なんて思っていたら、調子外れな鼻歌まで聞こえてきた。
「……自由だなぁほんっと…。」
ぽかーんと見送るレイドは、ツっこむ気すら削がれていた。



「アル、いるよね?ただいまー。」
コンコンと柔らかくノック。ゆるく声をかけながらかちゃりと中に入った。
軽く下ろしたブラインド越しに、西日が縞模様を作る午後3時。とろりと間延びしたような日差しの中で、アルヘオが目を瞠った。
しかしそれも僅か一瞬だ。珍しく微笑もなしに目を細めると、また視線は書類へ注がれた。
「…事前にアポイントは取るのが礼儀じゃない?君が来るなんて連絡受けていないな。」
「いいじゃない、余所のおうちでもないんだし。自組織は自宅みたいなもんでしょー?」
「だったら尚更だよ。自組織の上司に対しての最低限の礼儀じゃない?」
「必要がないもの。」
手をとめたアルヘオがすぅと視線を上げる。気付けばデスク前まで来ていたルストがにっこり笑った。

「会って迷惑にならない時間かどうか、確認するのがアポイント。だったら、今日一日のうちでアルが一番忙しくなくて尚且つ支部長室にいる時間さえわかっていれば、問題、ない。」

そうでしょ?そう微笑むルストに、アルヘオは険の混じる視線だけを返した。冷静さを装ってはいるが、視線に滲む不快感は殺しきれていない。
アルヘオ支部諜報部員・ルスト。影でデータベースと揶揄される彼だがそれなりに理由がある。
彼は一言で言えば、見境なく優秀なリサーチャーだった。

彼には敵のみならず味方の事まで徹底して調べ上げる悪癖があった。

勿論そこには、プライベートを重んじるようなジェントルさは無い。
そしてそこには悪意もない。猜疑による調査でもなければ、姦計を図るための調査でもなかった。
ただ。
純然に。


知りたいと思った。ただ、それだけ。


(……こういう手合いは、)
苦手だよ。ふぅと、アルヘオは息を吐いた。打算があるようで無い、無いようである。動きの読めない駒は、好きじゃない。
それでも、その能力自体は非情に優秀だ。それに本人からもこの支部への所属希望があった。それならいいだろうと…思っていた。最初は。
「…それで。調べはついたの?」
「んーん、ぜーんぜん。あまりにもわからなくて飽きてきちゃったよ。」
「仮にも任務なんだけど。」
「そうだねぇ、わかったのはわからないという事ぐらいかな。」
何をわけのわからない事を、と言いかけたアルヘオの前に球体が浮かぶ。緑色で透き通ったゼリーのような球体だ。それがくにゃりと変異し、四角い形になる。そして文字が浮かび上がった。さながら宙に浮くモニターのように。
「それ、マールム製薬と同様の商品…"種"を取り扱っていた企業のリスト。」
ずらりと並んだ企業名は予想外に多い。中にはオリジンがブラックリストに入れている企業名もあった。
「そしてどの企業にもあの"種"のようなものを精製できそうな設備はない。繋がりのある研究施設もぜーんぶハズレ。」
「…やっぱりどこかから仕入れた、という事か。」
「そ。そして仕入れ先を尋ねられたらみーんな答えは同じ。」
ルストの口元が楽しげに、つりあがる。
「"覚えていない"。」

曰く、
仕入れていた事は誰もが認めた。定期的に仕入れていた事も覚えている。
けれどそれをどこから仕入れたのか、誰から仕入れていたのか。
思い出そうとすると、靄がかかったようにうまく思い出せないのだそうだ。

「ね?わからないでしょ?なんとも不思議なお話だよねぇ。」
へらりと笑うルストには目もくれず、アルヘオは口に手をあてて考え込む。
「記憶操作…という事?」
「かもね?仮にそうだとしても、記憶なんてものは目に見えない。見えない情報はお手上げさ。」
ルストが肩を竦めると、空中モニターが球体に戻った。するりとルストの元へ戻っていく。
その球体をふわふわと連れ歩きながら、くるっと踵を返した。
「ラチあかないからさ、こっちで腰据えてマールム製薬を洗い直した方がいいかなって。ウチで取り扱った件だし、一応当事者もいることだしね。」
「俺はそんな事命じていないけど?」
「ミッションの継続、だよ。ミッション達成の為のプロセス、となれば命令による行動。…それとも、選んだプロセスは不適切だったかな?支部長。」
くるんと背中越しに振り向いて、アルヘオをじっと見る。アルヘオはそれに対する反論を素早く検索したが…ヒットは0件、だった。
「…いいや。"合理的"、だよ。」
「よかった!それじゃアル、しばらくはこっちでよろしくね。ああ勿論他の任務も受けれるだけ受けるから、必要あれば呼んでね。」
じゃあねーとルストは手を振って、支部長室を後にした。残るアルヘオは静かにドアを見つめたまま…ぐしゃり、書類に皺を作る。
時刻は3時40分。別件を命じた副支部長はまだ戻らない。彼がいない時間で、良かった。
……尤もそれすらも、予定通り、なのだろうけれど。



ぱたんとドアを閉じて、てくてく廊下を歩く。くすっと小さく笑いが洩れた。
「随分嫌われちゃったなぁ。」
あのアルヘオが微笑すら作れないのだから、相当嫌われたのだろう。自分としてはとっても好きな相手なのだが。見事な片想いだ。
まぁでも。そんなことは。

「どうでもいいんだけどね?」

にぃと、小さく、笑みが洩れた。
またこっちに戻って、彼の傍にいる事ができる。自然高なる胸を、そっと手で押さえた。

アルヘオ支部、その支部長アルヘオ。
色違いへの狂気じみた嫌悪、それを広く広める演説センス、飛び抜けた戦闘能力、そして組織ルールなど軽く無視する暴走ぶり…オリジンでもトップクラスに目立つ人物だ。
それだけ目立つ人物が。それだけ敵の多そうな人物が。
オリジンに来る前の事を、誰も彼も知らないのだ。
誰かしらは調べただろう。きっと数え切れないほどの人間が。彼の弱味を握ろうと失脚させようと、血眼で調べただろう。組織で目立つ人間ほど、虫にたかられて情報を零すものだ。
だが彼はありえない程に鉄壁だった。
生まれた地、家族、成育歴、学歴、オリジンに入るほんの直前どう過ごしていたかすらも…どれだけ探っても、何一つわからない。

最高だよ。最高に面白い。

彼の謎を前にしては、マールム製薬の謎なんて霞んでしまう。
どんなに難解厄介な任務だって、彼の秘密には及ばない。
どきどきと高鳴る胸は抑える事などできなかった。くすくす、くすくす、くすくすと。楽しくて楽しくて愉しくて。笑いが、止められなかった。
嫌われたって立場が悪くなったって構わない。そんなものどうでもいい。
ただただ君が知りたい。最高に興味深い、最高にミステリアスな彼を。

「―――徹底的に、」

バラして、みたい。



Curiosity killed the cat.


(危ういからこそ、猫はゆく。)

fin.