響き渡る、轟音。
飛び散る青い炎に照らされて、獣の爪が光った。



 燎原の



「……ッ!」
身軽に襲い来る鉤爪を、ファンジンはひとつひとついなしていく。細めた青い目には突然襲われた事への、焦りが滲んでいた。
訳を聞こうにも、話す暇すら与えない向こうの猛攻。集中して避け続けなければ、今にもその爪が喉笛をかき切りそうだった。
「くっそがちょこまか逃げてんじゃねぇ、よッ!!」
だんっと踏み込んだ相手がこちらへまっすぐ飛びかかってくる。その太刀筋を、ファンジンは見切った。
す、と身を沈めて太刀筋をかわす。相手の動きをスローに感じながら。
そして構えていた拳をその胴へ、解き放った。
「ッッが…!!」
たまらず相手は吹っ飛ぶ。木に当たって地べたへ崩れ落ちた。これで少しは訳を聞けるか、とファンジンは構えを解くが、その認識は甘かったようだ。
執念深く立ち上がった相手の、戦意は少しも削がれていなかったからだ。
獣の爪を持つ襲撃者…レイドは。
「…こんな夜更けに一体何の用だ。」
驚きに目を瞠りながらも、ファンジンは再び構えた。
「目的を言え。でなければ次は…加減できないぞ。」
「…加減、か。はッ、舐められたもんだなァ。」
暗闇の中、ぎらっと赤い瞳が光った。次の瞬間、
「クソ色に情けかけられるほど落ちぶれちゃいねェんだよッッ!!!」
さっきまでとはまるで違うスピードでレイドは間合いを詰めてくる。
咄嗟によけた、が、肩を爪がかすり血を噴いた。思わず怯んだその一瞬を、逃さず襲い来る巨大な爪。
まるでそれは怪物の牙のように。
ぞっとしたファンジンを守るかのように一瞬炎が膨れ上がった。熱に怯んだその隙で後ろへ跳び、レイドの爪は地を抉った。
「…くっそが…つくづく胸糞悪ぃ色だな、その炎。」
レイドに比べてファンジンはほとんど無傷だ。なのにその鼓動は妙に速く、嫌な汗が背に滲んだ。
…クソ色?炎の、色?脳裏に揺らめきちらつくのは、幼き日の、決して色褪せない記憶。
「……お前達、まさか…っ」
「――それ以外何があるってんだ?」
うろたえるファンジンを見透かしたかのように。レイドは目を見開き、凶悪に笑った。
「そうだよ"色違い"!!テメェはこれから俺達に狩られるんだ!テメェら色違いをこの世から一匹残らず、駆逐するためにな!!!」
だっと距離を詰められ僅かに反応が遅れた。肩口に大きく裂傷を負ってしまう。しかし2撃目3撃目はなんとか避け、後ろへと下がっていった。その時。
「逃げるなんていーけないんだー。」
暗闇から聞こえた無邪気な声。振り向き炎が照らすより速く、針の雨が降って来た。頑強な肉体に阻まれ深くは刺さらなかったが、幾筋も血が滴る。
呻くファンジンの前に、たっと降り立ったのは幼い少女。エレジアだった。
「わるい子なんだから逃げちゃだめー。どこに逃げたってエレ達が倒しちゃうんだから。」
無邪気に笑いながらその目は冴え冴えと光っていた。対象を同じ人間とは思っていない、そんな目。
そーいうこった。と呟くレイドも、同様の目をしていた。
ゴミを見るような。害虫を見るような。疑いすらせず"悪"を見るような。
冷えきった二対の瞳が…ファンジンの記憶を、揺さぶった。

けど。
二対の瞳が距離を詰めてくる間に、揺らいでいた青い瞳は一度閉じられ、すっと開いた。
瞳に凛と灯る青の炎。
連動するように足を炎が包む。迫る爪を、針を、燃え盛る回し蹴りが捉えた。

飛ばされたエレジアが地へ叩きつけられる。
手を弾かれた程度だったレイドへ、だんっとファンジンは踏み込んだ。
がら空いた胴へ渾身の『とっしん』。揺らぐ身体を逃しはせず、裏拳とひざ蹴りを立て続けに。
よろめきながらもレイドは爪を振りかざした。ファンジンはそれを真っ向から受け止める。
がっと交差する二人の手。がっちりと組んだ手と手の下から、骨の砕ける音が聞こえた。獣の手の方から。
「お前達が俺を見て、何を思うかは知らないが…。」
続いて、ごきんっ、と間接の外れる音。目を見開き呻くレイドを、容赦ない視線が捉えた。
再び足が燃え盛る。雄々しく振り上げた足はレイドの頸椎へと。
「約束、したんだ…俺は、胸を張って生きていくと…!」
決まる踵落とし。蒼炎の『ヒートスタンプ』が、決まった。
「ッぐ…あぁああ…ッ!」
「さぁ…まだやるのか。どうなんだ、暴漢共。」
激痛に悶えながらも、その瞳にはまだ殺意がぎらついている。恐ろしいまでの執念。その凄まじさにファンジンはぞっとする。
けれど身体は言う事をきかないようだ。動きが見られないのを見届けて、息を吐いたファンジンは踵を返した。襲ってこないのならば、こちらからこれ以上戦う理由はない。

その時。
足元からわっと蔦が湧き、ファンジンの全身を縛りあげた。

「ッ…!?」
「…護衛もついていないエンブオー一匹、二人で十分だと思ったけれど…。」
少し高めの男性の声。視線だけでなんとかそちらを伺えば、月明かりが二つのシルエットを描いていた。
傍に控える形で佇む男。そして、
月よりも狂った光を、その目に宿し笑む男。

「どうやらそうもいかないようだね―――今晩は、色違いのエンブオー。死して世界に貢献するつもりはあるかい?」


「……死して…だと?」
さらりと告げられたあまりにも残忍な台詞。容赦なく気道まで絞めあげんとする、使い手の髪と同じ色の蔦。
戸惑うファンジンへアルヘオは微笑んだ。
「そうだよ?害獣。色違いが絶滅して初めて、この世界は救われる。」
害獣、という言葉にファンジンの瞳孔が開く。
アルヘオは諭すようにゆるやかに、言葉を紡いだ。
お前も十分知っているだろう。
色違いは人の世を乱す。
色違いは人の世から弾かれる。
なるべくして、独りとなる。
「それは何故か。」
答えは簡単。目を閉じて右手を伸ばすと、ネックレスが輝いた。

「―――色違いは、在るべきものじゃないからさ。」

ぎしぃッと全身の骨が軋んだ。凄まじい強さで蔦が絞めあげる。
同時に控えていた男・バイジャがたっと駆け出した。目で追えない速さで風を切り、気付けばもう眼前だ。
「…そうか。お前とはわかりあえそうにもないな…だが。」
呟くファンジンを炎が包んだ。静かに、そして苛烈に、燃え盛る青の炎。
「色違いを虐げ…これからも傷つけるというのなら…それだけは絶対に許さん!!」
蔦が見る間に焼き切れた。
解放されたファンジンは紙一重で槍をかわす。しかしバイジャの切り返しも素早かった。ひゅっと槍を回したかと思えば素早く向きを変えまた突きにくる。長物を扱ってるにも関わらず、レイドより緻密で隙がなく、圧倒的に速かった。
後方に佇むアルヘオのネックレスがまた光る。するとファンジンの足元から次々と蔦が湧いて出た。立ち回るファンジンを追うように。それを『ニトロチャージ』で焼き払いながら、緩まない槍の猛攻をかわし続けた。
胴を狙う槍を『つっぱり』で逸らし、空いた拳を叩きこむ。槍の柄がそれを受け止めた。一跳び引いて間合いを取り、切るように薙ぐ槍の一閃。かわせたのはぎりぎりだった。はらり、散る橙の髪。
「…強いな…。」
思わずファンジンが呟くと、僅かにバイジャが目を瞠った。
「…お前もな。だが、」
…風が啼く。三つ編みがたなびいた。

「終いだ。」
どっ、と鈍い音。槍がファンジンの胸を、深々と貫いた。

「……ッ!!」
口から血が撒かれ、地面へと落ちる。
やがてがくりと首が落ちた。…仕留めた。バイジャがそう確信したその時、
隙ができた。
隙ができたと気付いたのは、槍を持つ手を強く掴まれてから。
(…ッしま…!)
今更気付いてももう遅い。
かっとファンジンが開眼した瞬間、二人は青い業火に包まれた。
「――――――ッッ!!!」
のけぞったバイジャが声にならない叫びをあげた。手から離れた槍は砕けて散っていく。
「…ッ!」
僅かにアルヘオが眉間をしかめた。両手を翳し大量の蔦を喚びだすも、炎の触れた先から灰になってしまう。
その時。

「…ファン…ジン?」
木陰から、か細い女性の声がした。
目を見開いたファンジンがばっと振り向けば、幹に隠れるようにしてこちらを伺うフローレルが、そこに。
「どう…いたしましたの…?これは一体…?」
「…ッ来るな!早くここから逃げ…!」
ひゅんっ、としなる音が風をきる。
「っきゃ…!?」
ファンジンが言い終わらないうちにフローレルは蔦に縛られ、地に引き倒された。
「ッフローレ…、ッ!?」
駆け寄ろうとしたファンジンも、地に倒される。
視線だけで振り向けば、背中にバイジャが馬乗りになっていた。酷い火傷まみれの身体を無理矢理動かして。首筋でぎらつく槍の刃。焼き切れてぱらぱらとほつれた髪の隙間から、黄の瞳が鋭く光っていた。
「…計画通り、釣れたね。」
ざり、とアルヘオが近付いた。怯えるフローレルと睨むファンジンを、ゆったり見回して。
「来るだろうと思ってたよ。連れにもう一匹色違いがいることはわかってたから。」
「ッ、彼女を離せ…!!彼女は関係ないだろう!!」
「そうはいかないよ。その女だって色違いだ。…でも、そうだね。」
気を失ったレイドに火傷まみれのバイジャを、ちらりと見回してからアルヘオは言った。
「君が無抵抗で死んでくれるなら、女は生かしてあげようか。」
ファンジンとフローレル、それぞれが大きく目を見開いた。アルヘオの微笑は微動だにしない。
「害獣と交渉なんて反吐が出るけれど。この条件なら考えてあげなくもないよ。」
「…貴様…どこまで外道な事を…ッ!」
「外道?ふふ、面白い事言うね。生まれながらに道を外れた害獣が何を言ってるの?」
笑みが濃くなった。月色の瞳は、冷たくファンジンを見下ろす。
「色違い。お前達はそもそも人としての道に乗ってすらいない。"化け物"なんだよ。人と違う異質な生き物。だから人を怯えさせ、あるいは好奇の目を寄せ、争いを生み、世界を乱す。」
一旦言葉を切り…静かに、笑む。
「…身に覚えがあるだろう?害獣。」
…それはファンジンの心の奥底の記憶を、深々と貫いた。


『テメェ気持ちわりいんだよ!!色違いが!!』
『色違いのクセに私達の食料をたかろうなんて生意気ね…!!どっかに消えれば?!』
『おい、こいつもう捨てようぜ?弱っちいし、攻撃してどこかに置き去りすりゃいいだろ』

―――おれは、

生きてちゃ いけなかったのかな


「…さぁ、どうする?」
問い詰められるも、言葉を失った唇はただ震えるだけ。
「害悪でしかないその命、仲間の為に散らすのも悪くないかもね?」
張り詰めた空気の中、ぽつりと、声が零れた。

「……違いますわ。」

フローレルだった。
アルヘオは目を瞠るが、すぐに鬱陶しそうに細める。
「…君と話をする気はないよ。」
「ファンジンは…ファンジンは、害獣などではありませんわ。生まれながらに世界を乱すなんて、そんなの嘘ですわ!」
頬を土に汚しながらも、桃色の瞳がきっと睨んだ。
「私はファンジンと出会ってから、言い表せない程に幸せですわ!それは彼の色のせいじゃありません。人柄が、言葉が、振舞いが仕草が、ファンジンという人そのものが、私に幸せな気持ちをくださいます!」
それはフローレルの偽りない気持ちだった。それだけにその叫びは、強い力で場を呑みこんでゆく。


「色違いであることが、一体なんだと言うんですの!どんな色をしていようとファンジンは、私の大切な人ですもの…!!」


『―――色違いだからなんだって言うの!?どんな色をしていようとこの子は、あたしの大事な家族よ…!!』

瞠るアルヘオの目の奥で、重なる声。再生される、声。
微笑を失くした事を、一瞬言葉を失くした事を、恥じるかのようにぎっと歯噛みした。
「……れよ…。」
強く握った右手を解き、フローレルへ思いきり翳した。
「―――ッ黙れよ、害獣風情がッッ!!!」
わっと夥しい量の蔦が、フローレルへ襲いかかった。
しかしフローレルへは届かず灰となった。二人の間にはファンジンが、燃え盛る炎を纏って立っている。
「ッこの…!」
ばっとアルヘオが手を上げれば、巨大な蔦がいくつも喚び出された。人など容易く潰せそうなサイズのそれを、一斉に叩きつける。
しかしファンジンは毅然と立っていた。叩きつけられたそれを、腕で受け止めて。
炎に焼かれ崩れ始めた蔦は、蹴り一撃で弾け散る。一瞬アルヘオが丸腰になったその瞬間に、だんっと強く踏み込んだ。
振り抜いた、拳。
それは綺麗に胴へ決まり、華奢なアルヘオは容易く弾き飛んだ。
「ッかは…!」
背から地に叩きつけられ、吐いた血があたりに散る。
追撃の手は緩まない。ファンジンが大きく腕を振り上げ、『アームハンマー』を振りおろすのが見えた。既にそれは眼前、蔦の生成も間に合わない。


ぎゅっと目を瞑った。けれど衝撃はこない。
目を開くと、振り降ろされた腕の一撃を槍の柄が受けていた。
「…バイジャ…?」
「…ッアル…ヘオ様…。」
ぼろぼろに焼け焦げた四肢は無残な有り様だ。本当なら動くこともままならないだろう。それを代弁するかのように、再生成したらしい槍は早くもひびが入っていた。
「…撤退…いたしましょう、アルヘオ様…。一度…体勢を立て直す必要が…。」
ばきんっ、と槍が砕けた。
アルヘオを庇いながら、すんでのところで『アームハンマー』を避ける。なんとか避ける事はできた、が。
「……ッ!」
がくりとバイジャがよろめいた。もう限界なのだろう。次の攻撃がくれば、おそらく。
アルヘオは怒りを抑えもせず目を細めるが、やがてぐっと瞑り。

ぱちんっ、と指を鳴らした。それが合図。
踵を返して夜闇へと駆けていった。残った体力を振り絞って、バイジャも、レイドも、エレジアも、それに続く。
「ッ待て…!」
ファンジンが追おうとするも、がくりと膝が崩れた。4人一度に相手した身体は、流石に悲鳴をあげている。
…深追いは禁物、か。
そう自分に言い聞かせて、ファンジンは蔦のほどけたフローレルへゆっくり歩み寄った。

fin.